ロシア製SFX映画大ヒット!(2004/07)
*この作品は2006年春、20世紀フォックスの配給により
「ナイト・ウォッチ」の題名で公開されることになりました*
 ロシア初の本格的SFX映画がロシア国内で大ヒットして話題を呼んでいる。これは、チムール・ベクマンベトフ監督の「夜の監視者」(Ночной дозор 英題=Night Watch 2004年)という作品で、主人公のバンパイアたちが、現代のモスクワを支配しようとする巨悪に対し超能力で立ち向かうという物語。
 封切り初日だけで、2千万ルーブル以上の興行収入をあげ、おそらく、ソビエト崩壊以後の映画としてはトップの座にあったハリウッド映画「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還icon 」の記録も追い抜くものと見られている。
 映画は、国営テレビ局"第1チャンネル"が製作したもので、自局をはじめ街頭広告、インターネットなど様々なメディアを駆使して大々的な宣伝を行ってきた。このため、この映画のヒットを「作られたもの」と疑う声もある。しかし、若者など観客の反応は上々のようで、既に、続編、続々編の製作が決定している。
 「夜の監視者」は、小説家セルゲイ・ルクヤネンコの3部作の第1作で、1998年に発表されてベスト・セラーとなったもの。既に4年前に別の製作者によって映画化が企画されたが流れてしまい、映画化権は2年前に第1チャンネルのものとなった。
 映画化にあたっての第1チャンネルの狙いは、ロシアにおけるテレビのゴールデン・アワーをハリウッドから奪還することにあったという。また、映画を広告媒体として積極的に活用しようとする試みでもあった。このため、映画ではスポンサーとなったネスカフェやタロスト(デニッシュ・ペストリーやペルメニなどで知られる食品メーカー)の商品がしばしば登場している。

 監督のベクマンベトフは、これまでに「ザ・グラディエーター2 ローマ帝国への逆襲icon」(2001年)、「エスケープ・フロム・アフガンicon」(2002年)を発表しているが、これらはいずれも米ハリウッドの"B級映画の王様"ロジャー・コーマンの主宰する"ニュー・コンコルド"の製作である。しかも、「エスケープ・フロム・アフガンicon」は、実は、1994年にゲンナージ・カユーモフと共同監督したデビュー作「ペシャワールのワルツ」をコーマンが買い取って再編集したものである。
iconicon  「ペシャワールのワルツ」は、世界を震撼させたソ連によるアフガニスタンへの軍事侵攻の過酷な全貌を描き、1994年のカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した作品である。時を経て、米軍のアフガニスタンへの軍事作戦を迎えたコーマンは、この秀作に目をつけ、配役をアメリカ人の戦場カメラマンと医者という設定に変更するなど、いかにもコーマンらしく戦争アクション映画に仕立て、「エスケープ・フロム・アフガンicon」として配給したのだった。このような改変にもかかわらず、この作品は「見る者を驚愕させ心をわし掴んで離さない戦争アクションの傑作」(米"バラエティ"誌)と絶賛されるなど、ベクマンベトフの名を世界に知らしめるものになった。
iconicon  「ザ・グラディエーター2 ローマ帝国への逆襲icon」は、リドリー・スコット監督の「グラディエーター」(2000年)の大ヒットに触発されたコーマンが、同作の女性版を狙って、当初からVシネマとして企画したものだった。
 ソビエト崩壊以来、ロシア映画界では観客動員は落ち込み、製作資金の調達もままならず、モスフィルムやレンフィルムも貸しスタジオとして稼動はしてはいるものの、自社による製作本数は、年にゼロまたは1本という状態にあった。撮影所もスタッフも俳優も、欧米から見れば極端なダンピングと見られるような資金でもロシア映画界は喜んで受け入れるような環境だったのである。
iconicon  コーマンは、「火を噴く惑星」(1961年パーヴェル・クルシャンツェフ監督)などに見られるように、1960年代から度々ソビエト映画を買い付け、ロシア映画界にとってはお得意先だった。そこで、コーマンはこの関係を利用し、ロシアなら歴史スペクタクル映画を破格の低予算で製作できると踏んだのである。監督として白羽の矢を立てられたのが、ベクマンベトフだった。
 ローマ帝国の奴隷となって運命に翻弄される少女が、やがてアマゾネスへと成長し、復讐を遂げるためグラディエーターと戦う、というこの映画は、ベクマンベトフの演出によって、ロシア映画としては珍しいセミ・ヌード、しかも完全剃毛というセクシーが売り物の史劇アクションというコーマンの設定を超え、ダイナミックなアクション・シーンを持つ重厚なスペクタクル・ロマンとなった。
 ベクマンベトフは、1961年、カザフスタンのロシアと国境を接する小さな町グルエフに生まれた。そこは、アジアとヨーロッパの接点とも言うべき場所で、彼が幼い頃はまだソビエト連邦の時代で、アジアで寝起きし、ヨーロッパであるロシアの学校へ通った。また、カザフ人とユダヤ人の血の流れる家系で、カザフの親族からは「緑の草が生える場所で暮らすこと」が一族代々の家訓だと言われ、ユダヤの親族からは「我が一族のいない所で暮らせ」と教わったという。
 青年となったベクマンベトフは、中央アジアのオアシス、ウズベクのタシケントで生活するようになった。まさに「緑の草が生え」て「一族のいない」所だった訳である。彼はここで劇場や映画館のデザイナーとして働いていた。
 1993年にモスクワに出たベクマンベトフは、広告宣伝会社でフィルム製作に携わるようになった。ほどなくして「ペシャワールのワルツ」を共同監督することになったが、その後も数多くのコマーシャル・フィルムを作り続けた。ベクマンベトフの一連のコマーシャル・フィルムの中でも有名なものは、"バンク・インペリアル"のシリーズで、「夜の監視者」の場面を彷彿とさせるようなコスチュームやアクション・シーンを見ることができるという。
 日本でも公開された「ムムー」(1998年)のユーリー・グルィモフ監督も"ロシアCF界の若きカリスマ"と呼ばれる広告宣伝業界の人だった。いわば国立映画大学一辺倒だったロシア映画界にも風穴が開きはじめているのであろう。
 「夜の監視者」の続編は、3部作の原作に従って「白昼の監視者」のタイトルで製作が決定し来年公開の予定である。続々編「夜の監視者3」(「夕闇の監視者」)も2006年の公開をめざしている。また、原作者ルクヤネンコのシナリオによる「反影の迷路」が第1チャンネルで製作されることになっている。さらに、ライバルのテレビ各局も続々と劇場用映画を製作することを表明しており、「夜の監視者」が生み出したブームは、しばらくロシア映画界を騒がせ続けそうである。
→ 「夜の監視者」(Ночной дозор)公式サイト
→ 「夜の監視者」ポスター
→ 「夜の監視者」予告編
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 日新報道 2004/05/10
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